あのとき歴史は動いた?

1日1記事。わたしが気になったニュースを国内・海外からpickup。独断と偏見でコメントも添えてお届けします。古代より日記は史料として貴重な財産。現在の「○○を食べた」「○○と今日はデート」的な個人ブログとは一線を画してお届けします。

2018.1.7 中日、阪神、楽天で監督を務めた星野仙一氏、2018年1月4日に亡くなる。

そもそも闘病中ということすら知らなかっただけに、今年始まって一番ショックなニュースでした。

わたしの世代は阪神楽天の監督よりは、やはり中日でベンチを蹴飛ばしているイメージがあります。

打倒巨人、というのがおそらく生涯の野球人生のモットーだったと思いますが、反骨心、ということばがこれほど似合う方はいなかったと思います。

 

野村克也さんも星野さんとは何度も戦って楽天つながりもあっただけに、奥さんを亡くされて、さらに打倒巨人で反骨心という部分でも似通っていた両者だけに、さらに気落ちして体調を崩したりしないか心配です。病は気から、とはいいますが、ほんとにそうだなと思うので。

 

以下ニュース引用です。東スポwebより。

 

 楽天球団副会長で中日、阪神楽天で監督、北京五輪では日本代表監督を務めた星野仙一氏が4日に亡くなっていたことが5日、分かった。70歳だった。現役時代は「燃える男」との異名がついた気迫のピッチングで通算146勝をマーク。「闘将」と呼ばれた指揮官としては、率いた3球団すべてを優勝に導き、楽天では日本一に輝いた。昨年1月には野球殿堂入りを果たし、1か月前には元気な姿を見せていたばかり。日本球界の発展に多大な功績を残した“巨星”の訃報に、球界は大きな衝撃が走った。 

 球界関係者によると、星野氏は膵臓がんで闘病中だった。一昨年に告知されたものの、周囲には一切知らせず、球場で持病の股関節が痛んでも「(楽天の)トレーナーに診てもらうとバレるから」と治療も受けなかったという。年末には家族でハワイ旅行を計画していたが、体調を崩し急きょ中止に。家族と正月を迎え、おせち料理も楽しんだが、2日に倒れ、容体が急変。4日午前5時25分に愛する家族にみとられ、旅立った。最期は2人の娘に抱きかかえられ、その表情は安らかだったという。

 すでに5日に親族だけで通夜を済ませており、今日6日に密葬を執り行う。お別れの会は後日、行う予定だ。

 星野氏が最後に元気な姿を見せたのは、昨年12月1日、大阪市内で行われた自身の「野球殿堂入りを祝う会」。ソフトバンク・王会長や阪神・金本監督らの球界関係者だけでなく、政財界、芸能界などから約950人が集結した。この席で星野氏は自身が監督を務めた阪神楽天の「甲子園球場での日本シリーズ」実現を熱望し「私が生きている間にやってもらいたい。自分の夢だ」とあいさつ。金本監督らに猛ゲキを飛ばしたばかりだった。

 それだけに出席者からは「少しやせた印象はあったものの、口調はいつもの星野さんでした。まさか病気だったとは…」との声が。すでに闘病生活を続けていたものの、自分のために集まってくれた周囲を心配させないよう、いつも通りの姿を見せようと努めていたのだろう。

 そんな星野氏を支えていたのは強い「反骨心」だった。現役時代は「打倒巨人」を公言し、気迫を前面に押し出す強気のピッチングで長嶋、王を擁するV9巨人に向かっていった。指揮官になってもそのスタイルは変わらない。ふがいないプレーをした選手には鉄拳制裁もいとわず、納得のいかない判定には猛抗議で、乱闘になれば真っ先にベンチを飛び出した。半面、選手に対する愛情も人一倍。裏方さんらへの配慮も欠かさず、選手の妻たちは星野氏からの誕生日プレゼントに驚き、涙した。人間味にあふれた指揮官だった。

 そんな星野氏の人柄には、球界のみならず政財界など、多くの人たちが引きつけられた。阪神シニアディレクター、楽天副会長でのフロント時代はそうした人脈を生かし“優れたGM”としての手腕も発揮した。

 健康面では阪神監督時代、高血圧に悩まされたことが退任の大きな理由の一つとなり、楽天監督時代は持病の腰痛を悪化させ、難病の腰椎椎間板ヘルニア胸椎黄色靱帯骨化症と診断され休養。これが退任につながった。とはいえ、今回の病気については周囲にはほとんど知らせておらず、それだけに衝撃が広がっている。

 相手が強く、巨大であればあるほど闘志を燃やしてきた星野氏。ただ、そんな燃える男も、病魔には勝てず。「夢にまで見た日本シリーズ」は“遺言”となってしまった。球界が失ったものは、あまりにも大きい。